昭和歌謡とアニソン好きの占星家ほうげつあきよしのブログ

昭和歌謡と昔のアニソンと邦画と刑事ドラマをこよなく愛する「こやし系」占星家兼天珠アクセサリー作家が色々書いているブログです。ITの事も時々書きます。

スティーヴ・マックィーンの「栄光のル・マン」が日本車メーカーのル・マン参戦を後押ししていた話

スティーヴ・マックィーンの名作であり

日本のモータースポーツ界では評価が高い

作品に「栄光のル・マン」(原題:Le Mans)がある。

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この映画が無ければ日本のメーカーが

ル・マンに挑戦することも、ましてや

優勝することもなかったかもしれない。

 

一人の俳優の無謀とも言える挑戦が

日本のモータースポーツに及ぼした

影響は大きかった。

 

当時海外のモータースポーツを見る事が

少なかった日本人にとっては、F1を

題材にした「グランプリ」に続く作品

として受け入れられたのだ。

 

私がこの映画を初めて見た時には

「あれ?主役リタイヤしている^^;」

とか

「クルーのピットでのレースタイヤの

扱いが雑だけどこれで最高速400kmとか

大丈夫なのか?」

とか単純に

モータースポーツを見てるツッコミ目線」

だけで見ていたのだけど、最近になって

再鑑賞してみると

「この映画って実はとんでもなくすごい

作品なんじゃないのか?」

って思えてきた。

そんな気持ちの中、この映画のメイキング

作品がCATVで放送された。 

原題は「The Man & Le Mans」

と韻を踏んだタイトルになっている。

内容はスティーブ・マックィーン

生い立ちに映画撮影時のエピソードを

加えた形なのでファンには溜まらないが

モータースポーツ好きには物足りない

かもしれない。

 

だがしかし、しかし駄菓子。。。

 

映画作りにはやはり「プロジェクトX」な話が

満載であるが、この映画もそうだった。。。

いくつかまとめてみた。

 

・「栄光のル・マン」はスティーブ・マックィーン本人が制作責任者だった。

日本で言うと三船敏郎様や勝新太郎様が

自分で芸能プロ立ち上げてドラマや映画を

作っていたのと同じ。

最近では北野武作品がこれに近いと思う。

ちなみに日本ではウケたこの映画も本国

アメリカでは不評で、後に彼が自らの

プロダクションを店じまいする原因に

なった。

(これも三船プロや勝プロと同じ末路である)

当時のハリウッド映画は恋愛ストーリー

主体だったので、彼の作り上げた

「ガチンコでストイックなセミドキュメンタリー」

はウケなかったのだ。

・映画撮影中に共演中の女優を乗せた車で深夜に暴走し事故を起こしていた。

インターネットがある今だったら

「スター大事故なう。あれ?愛人も一緒?」

と動画配信されていてもおかしくない話。

この大スキャンダルが報道されていたら

間違いなく作品自体が「ボツ」の痛き目

に遭っていただろう。

ちなみに車は猛スピードで横転ししかも

乗っていた3人(世話役の男性含む)は全員

シートベルトを”多分”つけていなかった

のに死人が出なかったのは奇跡だと思う。

・実際のル・マン24時間耐久レースにマックィーン本人が参戦する予定だった。

結局プロダクション側が猛烈に止めて

諦めたらしいが、彼自身は相当乗り気

だったようだ。 

しかも前哨戦の12時間耐久レース数日前

に片足を怪我しているのに出場を強行し

なんと2位になってしまった。

ちなみにこの時にコンビを組んだのは

レブロン化粧品の創業者の甥で後に

F1でも活躍したピーター・レブソン。

・映画撮影前にマックィーンは殺されていたかもしれなかった。

カルト教団チャールズ・マンソンファミリー

が起こした「シャロン・テート殺人事件」

の際、彼もロサンゼルスの彼女の自宅での

パーティに呼ばれていたが、当時のガール

フレンドの機転で彼は行かなかった。

後にそのファミリーの殺人リストに彼の

名がトップで記されていた事がわかった。 

・台本が無かった。

複数の脚本家に現地で脚本を競作させると

いう無茶苦茶っぷり。しかも”制作総指揮”

のマックィーンと対立した監督は途中降板。

スタッフクレジットにはとりあえず残った

ものの、最悪この映画は監督名が

アラン・スミシー

になっていたかもしれなかったのだ。

・撮影中の事故で死にかけたレーサーが二人いた

一人は後に長くル・マンや耐久レースで

活躍したデレック・ベル。クラッシュ時の

火災で顔面を火傷した。

もう一人はデヴィッド・パイパー。

撮影時の大事故で右足切断の大怪我を負った。

作品のエンドクレジットでは彼への感謝の

念が記されている。

なおこの大クラッシュはマックィーン演じる

主役のデラニーがリタイアするクラッシュ

シーンのモチーフになった。

 (実際の撮影は無人+リモコン操作で行った)

ちなみにマックィーン本人がポルシェ917に

乗り込んでのレースバトルシーンや、実際の

レース以外で別録りしたシーンも全て

「ガチンコ」

での撮影。。。つまり最高時速400km出して

いたのだ。どうりでCGやスタント撮影では

出せない強烈な臨場感があった訳だ。。。

当時の安全性が低い上に10,000cc近くの排気量

のエンジンを積んだプロトタイプレーシングカー

にカメラを積んで”主役”がガチ走行。。。

色んな意味で今じゃまず無理だろうな。。。

 

他にもエピソード満載だった事を

改めて知ると「栄光のル・マン」は

スティーブ・マックィーンの人生を大きく変えた作品。

であり、多分彼が見切りで強行した

無茶苦茶なプロジェクト

だからこそ、二度と作れない名作が

出来たのだと私は思う。

 

この作品の前後の”出来事”も影響して

マックィーンはストレスから心を患い

異性関係も乱れたことから最初の夫人

と離婚した。

前出の通りプロダクションも解散した

マックィーンはその後映画で演じる

キャラも変わり、2回の結婚を経て

1980年に50歳の若さで亡くなる。

今でこそ再評価されている彼の

「無謀なプロジェクト」

だが、生前の彼はもしかしたら

「しくじった」

という気持ちが強かったかもしれない。

 

だがしかし、しかし駄菓子。。。

 

この映画が公開された1970年代初頭は

日本のモータスポーツ界はオイル

ショックや国内レースでの大事故多発

で世間からの批判に晒されていた時期

だったらしいが、そんな不遇な時期に

プライベートでル・マンに乗り込んだ

チームがあったのだ。

blogs.yahoo.co.jp

このシグマのドライバーの一人が

後にマツダル・マンで優勝した時に

一役買っている「ミスタール・マン

寺田陽次郞さんである。

シグマがル・マンに挑戦するきっかけが

マックィーンの命がけの作品だったか

どうかはわからないけど、歴史を辿ると

すごく因縁を感じるのである。

 

 

 

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